敵を知れば百戦危うからず!まずは消費者金融の歴史から!

今から数十年も昔のこと、サラ金地獄という何だか恐ろしい言葉がありました。今の若い方はご存知ないかもしれませんね。これは、当時サラリーマン金融(略してサラ金)と呼ばれた融資業者から借金して返せなくなった人が、とても厳しい取り立てにあうことを意味していました。昼夜を問わず取り立て業者が自宅や職場にまで押し掛け、その結果、家族が離散したり無理心中したりといった悲劇に陥ることも少なくなかったのです。この言葉がすっかり定着してしまうほど、その手の事件が頻繁に新聞やテレビで報道されていた時代でした。
このために「サラ金は怖い」「サラ金に手を出したら人生終わり」というイメージが一般に定着してしまい、貸金業者にはこれを払拭する必要が出てきます。またサラリーマンだけではなく、自営業者や女性や若者など利用者をもっと広げていきたい。そんな意図からサラ金という名称は使われなくなり、消費者金融という名称でさかんにゴールデンタイムのテレビのコマーシャルに登場するようになりました。もちろんイメージだけではなく、黎明期の1960年代からサラ金が社会問題となった1980年代を経て、業者間の競争や法律の規制もあり、それまでのような法外な金利や恐ろしい取り立てはなくなっていきます。そのかわり、誰にでもいくらでも貸してくれるということもありません。もちろんこれは大手業者に関して言えることであって、登録されていない怪しい業者もいますから、お金がないと慌ててヤミ金に飛び込まないようにしてくださいね。
少し余談ですが、このサラ金よりさらに前は、生活費などに困った人はどうやって凌いでいたのでしょうか。それは昭和初期0中期の小説や映画に時折出てくるのでご存知の方も多いかと思いますが、質屋という貸金業者があって(今もありますが)、貴重品だけでなく衣服など生活用品を担保に小口の融資をしていました。月々の利息を返済できなかった場合、質草(担保にした品物)は返ってこなくなります。これを「質が流れる」と言いました。質は自動的に流れるだけで、恐ろしい取り立てはありません。質屋の親父が怖いといっても、せいぜい値踏みが厳しくて少ししか貸してくれないということくらいです。
また業者だけでなく、知人や身内同士でのお金の貸し借りというのは今よりもよくみられました。また会社での給料の前貸しといった慣例もよく利用されていました。このような地元密着型の小口融資がなくなったから街金といわれる業者が増えたのか、逆に街金が増えたからこれらがなくなったのかはわかりませんが、今となっては古き良き昭和レトロな話ですね。昔も高利貸しといわれる悪徳業者はいて、これはこれでサラ金より恐ろしい面もありますのでいずれがよいとは限りませんが、どちらにしてもお互い気持ちよく上手に利用し合いたいものです。

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